Column For Scene of Art
不定期更新 Column
Tracy Chapman / Baby Can I Hold You
トレイシーチャップマンは、歌の中で、相手のことを深くわかっているように、おそらく大切なひとから、ほんの僅かな短い言葉がでてこないことを嘆く。長い間、長い間と。
このうたは、赦す ということのうただと思う。
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Can I Hold You Tonight.
Maybe if I told you the right words
At the right time
You'd be mine
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手を差し伸べるまでの距離、時間の流れ、短い歌だからこそ、長い長い経過を感じさせる楽曲は、とても豊かだ。
Can I Hold You Tonight. . 放たれたことばでふたりの時間はきっと融合する。
歌が何かを変容させると信じられていくのは、トレイシーチャップマンが歌う姿のように真っ直ぐな眼差しが、まぎれもなく言葉と合わさって、ひとの心に届くからだと思う。
(2023.2.5) Vene
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Poetry / GOMESS
“もしもし…”
”死ねばよかったと思ってるの?”
”俺は会えて嬉しいよ”
”明日からじゃ遅いんだよ”
冒頭、これらの他にも幾つかのGOMESSの言葉の交錯から始まる、Poetryという歌を知ったのは、今年に入ってからだった。
MVでは街中の風景、歩きながら歌う姿、特別な演出はないが、歌に乗った詩は印象深く突き刺さって離さないつよさがあった。
不器用さ、生きることへの姿勢のひたむきさ、感情の吐露、叫び、GOMESSは隠そうとはしない。
生きて それでいい。そう思わせてくれるような歌の速度は、聴く者を救うかもしれない強度へ見事に昇華している。
(2021..6.12 Vene)
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Every Grain Of Sand / Bob Dylan
信仰の告白の歌。
すべての砂粒の中に、大いなるものの意思が宿る と綴るこの歌には、徹底的な内省が込められていて、そっと近くに、強く寄り添ってくれる誠実な歌詩が素直に胸を打つ。
Bob dylanには内面の変化に沿って色々な時代があると時に云われるが、ひとつ確かなことは、そのどの側面を切り取っても、真摯な姿勢がきちんと見えるということだとおもう。
1991年にリリースされたブートレグシリーズ Volume1-3に収められているテイクでこの歌を聴いてきたが、「Sometimes I turn , there’s someone there , othertimes it’s only me」の歌詩の所で、きっとボブの飼っているだろう犬が大きく吠える声が同時に収録されていて、それが、生きるひとの切ない姿を浮かび上がらせるようで、堪らない気持ちになる。
まぎれもなく美しい歌。
(2021.5.30 Vene)
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光の海 / 新宮晋
新宮晋氏の作品に初めて触れたのは、数年前の兵庫県立美術館での展示「新宮晋の宇宙船」でだった。その日の事は、今でも克明に覚えている。広い空間に、風や水で回転をしながら、ゆっくり揺れている巨大なオブジェ達の姿は心の奥底に響き、そして心を掴んで離さなかった。
その経験は、自身の音楽会、’秒針の郷愁’の発露にもつながっている。
数年経って、ふと母校を訪ねた折、図書館の傍らに新宮さんの作品が風に揺られているのを、見た。「光の海」。初めて名前を知って、その姿が鮮明に記憶と結びついて、とおく懐かしい心地になった。
優雅。新宮さんの作品は、この言葉を纏っている。そしてそれは、違和感へも繋がっていく大切な感覚だとおもう。ひとの時間の流れ が急ぎすぎていないか、何か大切なものを見落としていないか ― 静かに揺れる姿が、そっと私に問い掛けてくれるようにおもう。
光の海 のメタファーが、私たちの時間感覚を揺らすことが、時には在ってもいい。
(2021.5.15 Vene)
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灯台からの響き / 宮本輝
人生の深みに跪く。
何気ない人々のやりとり、ある種ありふれているような(とても、本当にありそうな)暮らしを営む主人公の或る”旅”の過程でのいとおしい結末。
いつか高田渡氏が「物を書くこともすごく素敵だけど、そこに映っている人間の方がいいんだとしたら、ぼくはそっちのほうになりたい。生きてることの方がすごく大事なんだ」と云っていたのを思い出す。そのように、この小説の人たちは佳い色を放って描かれている。描く者も描かれる者も等価に扱われるような、潔く丁寧なつつましさがひたすら心地良い。
人生に於いて何かが特別であるということは、他者が決めることではない。当たり前に人生は特別の連続で成り立っている。
人生の深みに跪き、遠く遠くまで歩いてゆこうとただ静かに決然とおもわせてくれる、物語。
(2021.5.3 Vene)
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Selfy / 山本精一
”ときをこえたあと そこに何もなかったんだ”
”街はいつになく 何かに怯え切っていた”
フレア の歌詩を聴くとき、空虚を適切に音楽で描いて見せたときには(その浮遊するようなサウンドに乗せて、一層、)豊かさと虚ろさがないまぜになって、一気に押し寄せて来ることで、決まって鋭くえぐられたような傷みと同時に気持ちがビートに乗ってフッと浮かんで行くということが有ることを確かめる。
虚ろを音楽で描くことで、音楽であるがゆえにあかるく美しい色を帯びた芸術の姿が立ち現れて、かつそれが聴き手の気持ちを柔らかくしてくれる、という事が成り立っている、音楽とことば。
ことばが音に乗ってまっすぐ届いてくるようなマジックが、此処にはある。
(2021.1.10 Vene)